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なんとかなるさ

人生の5分の4ジャニヲタ27歳ジョシ

私のジャニヲタ20年の歴史

ブログ作って満足しちゃってすっかり放置していました。
気付けば2月もあと1週間で終わります。

前回ほんと軽く自己紹介したので、今回はがっつり自己紹介しようと思います。

ジャニヲタになったきっかけ

私がジャニーズにはまったのはSMAPが始まりでした。
何がきっかけだったかは覚えていませんが、我が家のホームビデオに、テレビに映るSMAPを見てぴょこぴょこ飛び跳ね「ママぁ~SMAPのコンサート行ってみたいねぇ」と無邪気に話す6歳の私が映っていました。末恐ろしい…。中居君大好きな幼稚園児でした。
小学生になって机に敷く透明のシートの中にSMAPの切り抜きを入れて喜んでいました。

そして初めてコンサートに行ったのは小3。『ス』の時でした。母の友人にスマヲタがいて、チケットを譲ってくれました。
初めての福岡ドーム。初めてのコンサート。とにかく楽しくて、ここから底なしジャニ沼にはまっていきます。
ちなみに現在は、SMAPだと吾郎さんが好きです♡

青春時代をささげたTOKIO

無事にジャニヲタの基本である現場デビューを果たした小3の夏。
時を同じくして今度はTOKIOにハマります。中居君からの流れでご想像は容易につくでしょうが、国分太一にハマります。理由は覚えていませんが、鉄腕DASHが日曜に移ったのがこの頃のようなので、恐らくそれが理由かと。
初めて買ってもらったCDはTOKIOのYesterday&Today。
歌詞カードがぼろぼろになるまで聞きました。
国分太一Radio Box*1という今考えると小学生が聞くような内容じゃないラジオを毎週聞いていました。
当時はまだカセットテープだったので、テープに録音して新曲がOAされたら歌詞を書き出して、発売日前にはもう完璧というよく分からない所にエネルギーを注いでいました。
だから今でもテープ起こし得意です。

当時合唱団に入ってた私は、合唱団の中でも有名なTOKIOヲタでした。
ある日憧れの先輩から家に電話が!!

「友達がTOKIOのライブ行けなくなってチケットが余っててるんだけど行かない?」

それで行ったのが『どいつもこいつもTKO』@福岡サンパレス
3階の一番後ろだったけど、今まで福岡ドームしか行ったことのなかった私は、サンパレスの狭さに驚きました。
中学生になっても太一熱は冷めるどころかさらに燃え上がり、15歳差なんて関係ない!私は太一くんと結婚するんだ!!!と本気で思っていました。
aikoと交際報道出た日のことは今でも忘れません。

君にHITOMEBORE

一生太一くんが好きなんだろうなと思っていた中3の秋。
私は思いがけずある人に一目惚れします。

好きなんだよ!まじで!!!

ラブホリ先輩ではありません。
当時あいのりが好きだった私は、月曜日の23時にいつものようにテレビの前に座りました。
するとあいのりじゃない番組が始まった。それが「NEWSベストテン」*2でした。
TOKIOに夢中だった私は、NEWSのデビューが発表された時「けっ!また新しいグループできるのかよ」程度にしか思っていませんでした。
しかしテレビの前に座ったが最後。「どんなときも」を歌う増田貴久に一目惚れしてしまったのです。
キラキラな笑顔で♪好きなものはす~き~と~♪と歌う増田さんに一瞬にして心を奪われてしまったのです。
金八先生のパート6*3は見てたから増田さんの存在は知っていましたが、むしろ東新君*4が好きだった。
中居君→太一君→東新君とくれば目がくりくりっとした人が好きなんだな♡って分かるんですけど、何故か増田さんに恋してしまいました。

増田さんとの思い出は書き出したら果てしがないので、またの機会に書きます。

09'アラシック再発

私は割とオープンなジャニヲタなので、周りもジャニヲタが多いです。
私がTOKIOに夢中だった中学時代、親友はアラシックでした。親友は、頼んでもいないのに嵐のCDが出ると貸してくれてました。
さらに「USO!?ジャパン」で太一くんと嵐は共演していたので、嵐のことは昔から知っていました。
が、特に大好きというわけでもありませんでした。

時は過ぎ、高校、大学とNEWS一筋だった私ですが、私が大学2年だった2008年。
私の母が嵐にはまり、勝手にCDやらDVDが実家から送られてくるようになりました。
そして福岡に住んでいた私の家に母が泊まりにきます。
「嵐に行くから泊めて♡」

ついでに私もお供することになり、「Dream”A”live」に行くことになります。
しかしこの時のコンサートでは嵐にどっぷりハマることはありませんでした。

そして1年後の2009年9月。
またしても福岡の我が家に嵐のために泊まりに来た母。
この時は私はコンサートに行く予定はなかったのですが、当時新型インフルエンザが流行していたせいで母の同行者が行けなくなり、私が福岡2days福岡ドームに行くことになりました。
嵐10周年。今までのシングルを全て歌うという新規ホイホイ的なセトリで、前年はまらなかった私もがっつりハマってしましました。
それまでニノか翔君がいいな~と言い、翔君のうちわを持って会場に入った私。
しかし心を奪われたのはリーダー大野智でした。

「アラシックが治りません」と母にメールすると

「ママも入院したいくらい」と返ってきました。

そしてNEWSと嵐のワラジャーとして残りの大学生活を謳歌していくことになりました。

ヲタ卒!?

大学卒業して、私はちょっと特殊な職業に就き*5寮で半年間監禁されて暮らしていました。
携帯も没収され、テレビも自由に見れない生活は、私をヲタ卒に向かわせそうでした。
コンサートも自由に行けない、CDをフラゲできない、そんな生活に私はとち狂いそうでした。というか狂っていました。

結局仕事は辞め、何故か結婚した私。
ジャニヲタでも結婚できたよ。

結婚してからは以前ほどの熱量ではありませんでしたが、細々とヲタ活をしていました。

しかし2014年1月、またしても転機が訪れます。

自分自身エスコートできない危険地帯へ

家族に「面白いから見てみ」と言われた「キスマイBUSAIKU!?」を見て、今まで「顔面偏差値低すぎだろ」と馬鹿にしていたKis-My-Ft2にハマります。
これまで私の歴代の担当を綴ってきたので、薄々お気づきだと思いますが、私は地味担です。基本的に1番人気は苦手。
もう舞祭組なんて私にとっては最高ですよね。魅力を感じないわけがない。
そんなこんなで(疲れたので省略)今現在は二階堂さんがお気に入りです。

総括

「Kis-My-Journey」の初回DVDのドキュメンタリーを見ながらこの記事書いてましたけど3時間あるのに1周しました。
急ぎ足で私の20年をご紹介しましたが、もっと語りたい部分もありますのでまたの機会にでも。

もう20年ジャニヲタやってたらヲタ卒できる気がしません。
ジャニヲタって楽しい♡

*1:ジャニーズのラジオとしては珍しくハガキ職人がいる。下ネタ率高し

*2:バレーボールのワールドカップ開幕に合わせて、応援ソングを紹介していく番組。1回10分で2週間(月~金)毎日放送されていました。

*3:増田さんはツールド・フランスこと長澤一寿役でした。

*4:成迫正則役

*5:アンパンマン的な職業